第7回全国集会 開催要項 |
慶応 4年(1868年)、水戸に謹慎していた慶喜公は、側近および「精鋭隊」等に護衛されて、 銚子の波崎港カラム幕府艦隊・蟠龍丸に乗船し、七日間をかけ榎本艦隊に見守られるなか静岡港に移られた。 精鋭隊は久能の地で公のご安泰を見届けて後、名を「新番組」と改め、徳川家達公の静岡藩に属した。 「新番組」の士族 250戸は明治 2年7月(1869年)に、勝海舟の尽力により、大井川下流牧之原台地に約1,500町歩(約 15平方キロメートル) の土地を家達公から賜り、「牧之原開墾方」という職名の静岡藩役人として、名剣士として知られていた中條景昭を隊長、大草高重を副隊長として、 牧之原台地に移住した。 大草高重は献茶使としての経験と宇治で茶栽培・製茶を学んだことがあったので、茶の栽培を始めた。 刀を鍬に替え、勝海舟の他、山岡鉄舟、松岡 萬の支援を得て、艱難辛苦の開墾の末、四年後には、茶の初生産にこぎつけるという偉業を遂げている。
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大草高重の貴重な品々が展示されていました。 |
一時消滅しかけましたが1991年に町民が復活させました。 |
剣をとっては一刀正伝無刀流を編み出すほどの達人でした。 最後の将軍徳川慶喜を護衛する精鋭隊隊長として仕えました。幕府崩壊後、新番組 (精鋭隊を改称)の士族を率いて牧之原開墾の指導にあたり成功へと導きました。 1896年(明治29年)没。東洋一と言われる牧之原大茶園として礎をなしたことを 後世に伝える像は富士山を背景にした景勝地にあります。 |
次回総会は、2019年9月第3土曜日唐津市にて開催予定です。 |